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事件報告
日本の国際化を問う─医師国家試験の受験資格─

一、95年9月、突然中国人の男性が事務所に相談に訪れた。名前は卞 祖平(ベン・ソヘイ)さん。一九六三年生まれで現在34歳、上海出身で中華人民共和国の国籍を有する中国人である。
 流暢な日本語での相談によると、卞さんは87年7月、上海第二医科大学(6年制)を卒業後、日本で医師になりたいと考えて同年12月来日し、88年から約6年間、大阪市大医学部などで研究生として医学を勉強した。医師国家試験の受験資格認定の申請をしたが、「予備試験からの受験が相当」とされた。予備試験はこれまで3度受験したが、不合格だった。自分だけでなく、中国人で合格した人はいないと思う。ところが台湾出身者はいきなり本試験からの受験を認められている。これは72年の日中共同声明が「日本国政府は、中華人民共和国が中国の唯一の合法政府であることを承認する。」としているのに違反している。今年(95年)、再び受験資格の認定申請をしたが、またしても「予備試験相当」とされた。このままでは永久に日本で医師になれない、というのである。

二、卞さんに本当に実力がないのなら仕方がない。しかし、卞さんの大学卒業時の成績は優秀であるうえ、日本でも既に6年間勉強し、師事した教授らはそろって卞さんの学力と技能を「優秀」と証明している。日本語はほとんど完ぺきで、「日本語能力試験」の一級に合格している。
私は、医師国家試験の受験資格認定行政は厚生省(厚生大臣)の所管であり、決して簡単ではないと思いつつも、卞さんの熱意に押され、とりあえず厚生大臣(当時は管直人であった)に対して異議申立を行った。このことが新聞で報道(記事参照)されたこともあってか、決定はなかなか出ず、96年8月になって決定が届いた。結果は「棄却」であった。

三、卞さんは落胆しながらも、私に裁判をしてほしいと依頼した。厚生大臣を被告とする行政処分取消訴訟で、管轄の裁判所は東京地裁である。卞さんは仕事がなく、日本人で看護婦をしている奥さんが仕事をし、卞さんは家事と2人の子供の育児をする生活のため、旅費日当の負担だけでも大変である。それでも「医者になれたら、必ず恩返しをします」という人柄に打たれ、思い切って依頼をお受けすることにした。とはいえ、私一人では荷が重過ぎるので、中国語に堪能で、中国の事情にも詳しい明賀英樹弁護士に無理をお願いしたところ、一緒に受任していただけることになった。
96年10月、国に対する慰謝料請求もつけて、東京地裁に提訴し、本年1月から裁判が始まった。

四 医師の免許を得るには医師国家試験という試験に合格しなければならないが、医師法11条3号によると、卞さんのように「外国の医学校」を卒業した者は、厚生大臣が一定程度の「学力と技能」を有し、かつ「適当」と認定しない限り、先に「予備試験」に合格しないと医師国家試験(本試験)自体を受けられないことになっている。予備試験は日本語の筆記試験で、日本人受験者を含めて合格率15%に過ぎず、外国人の合格は至難の業といえる。
被告厚生大臣の主張によれば、本試験からの受験を認めるか、予備試験から受験させるかは、母国に医師国家試験制度や医師免許制度があるかどうかで決めており、中国のようにこれらの制度がない国の医学校の出身者には予備試験から受験させ、台湾を含めこれらの制度がある国の出身者には、それに合格していれば本試験からの受験を認めている、というのである。いわば、その人の実力ではなく母国の制度で決められるのである。

五 しかし、卞さんが熱心に集めてくる資料や、自ら中国語を翻訳してくれる中国の法律や文献を分析、検討する中で、いろいろなことがわかってきた。
例えば、フランス人やイギリス人には本試験受験資格を認めているが、フランスには国家試験や医師免許制度は存在しない。またイギリスには国家試験制度はなく外部試験委員が関与した卒業試験があるのみであるが、中国にも卒業や学位授与のための統一的国家試験(国務院衛生部統一試験)があり、卞さんもこの試験に成績優秀で合格している。
また、被告は台湾については台湾の試験に合格した者について本試験受験資格を認定しているが、これは「中国の」国家試験ということはできず、これを認定することは「二つの中国」を認めることになる。更に被告の基準では当該国の政府がその医学校についてWHOの報告書に報告していることを要件としているが、台湾の医学校は一切この報告書に記載されていない、などである。


六 まだ裁判は始まったばかりである。パソコンで判例検索もしてみたが、前例のない裁判のようである。また、中国国務院衛生部(日本の厚生省にあたる)に前記の統一試験について裁判所を通じた調査嘱託の申立をしたところ、裁判所から「中国の国家機関に調査嘱託する根拠が難しく、仮に応じてくれたとしても回答をもらうのに4年くらいかかった例がある」と言われるなど、手続的にも手探りの裁判である。
しかし、東京での裁判には卞さんは必ず出席し、また、2人の弁護士と卞さんの3人で行う裁判準備はいろいろな発見も多く、卞さんの人柄とも相まって、とても充実した裁判である。これも日本の国際化の一つの流れかなあ、などと考えつつ、卞さんが永住を決めたこの日本で医師になれることをめざして頑張っている。

(いずみ第6号「弁護士活動日誌」1997/9/10発行)

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