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過労死・過労自殺相談ガイド
過労死・過労自殺・労災で苦しんでおられるあなたへ
この文章を読まれているあなたは、働きすぎや会社での出来事・パワハラなどで脳や心臓などの身体疾患を発症して亡くなられたり(過労死)、うつ病などの精神疾患を発症して自殺(自死)された方のご遺族の方でしょうか。
 それとも、一命はとりとめたものの、後遺障害や職場復帰に困難を抱え、苦しんでおられるご本人でしょうか。
 さらには、働きすぎや強いストレスを抱え、「このままでは体も心も持たないのではないか」と心配しておられる、ご本人やご家族の方でしょうか。


亡くなられた方、倒れられた方には、何よりもご本人にとって無念なことであるとともに、ご遺族やご家族の皆様も、深く傷つき、経済的な困難の中で、当面の法的な対応にお悩みになっておられるのではないかと推察いたします。
また、働きすぎやストレスによる健康障害を心配しておられる方は、いつ、その心配が現実のものになるかもしれません。


そんなあなたには、ぜひ、当事務所へのご相談をお勧めします。
① あなたの今の思い、悲しみ、怒り、不安などについて、ていねいにお聞きします。
② 過労死・過労自殺・労災問題に長年にわたり一貫して取り組んできた弁護士が、あなたの事案や現状を十分に考慮した、的確なアドバイスをいたします。
また、あなたの事案やご意向を踏まえ、労災申請や、会社に対する対応をご依頼いただくことも可能です。
③ あなたの事案やご意向に応じて、各地の「過労死を考える家族の会」をはじめ、各種のNPOや専門家をご紹介したり、連携しながら進めていくことも可能です。


過労死・過労自殺や労働災害は、この社会の中で構造的に発生しているものであり、いろいろな個別事情が重なったとしても、決して個人の責任ではありません。
現に、大切な人を過労死・過労自殺で失った遺族と、私たち過労死に取り組む弁護士たちが多くの市民と一緒になって過労死を防止する法律の制定を求め、55万を超える署名、120を超える地方議会の意見書採択を受けて、2014年6月、「過労死等防止対策推進法(過労死防止法)」が制定され、同年11月に施行されました。この法律に基づいて、今後、国全体で過労死防止の総合対策が行われていく予定です。当事務所の岩城弁護士は、この取り組みに中心的に関わっています。


あなたが、傷ついた現状から一歩を踏み出すことは、大変勇気のいることと思います。でも、あきらめないで、まずはご相談下さい。 ご連絡を、お待ちしています。
過労死・過労自殺・労災問題のご相談について
 まずは、ご相談下さい。
 相談に先立って、こちらの「過労死に関する相談申込書」 又は「過労自殺に関する相談申込書」に必要事項を記載して、できれば事前にメール・FAX・郵送などでお送り下さい。
 相談は、事前に予約いただいた時間に事務所にお越しいただいて面談するのを基本とさせていただいております。
 どの法律相談もそうですが、特に過労死・過労自殺の案件は、ご遺族自身が心身ともに大変な困難を抱えておられます。それだけに、直接お会いして、お気持ちや思いをお聞かせいただければと思っております。
 もっとも、地理的、時間的その他の事情で、事務所にお越しいただくのが困難な場合もあります。そのような場合は、メールやFAXを活用し、また、電話のほか、スカイプ(インターネットを利用した無料通話システム)等による相談にも応じたいと思いますし、事情によっては私どもの方からご自宅やご指定の場所に出向くことも検討させていただきます。
 なお、過労死・過労自殺の案件については、ご相談料はいただいておりません。
依頼する場合の弁護士費用について
弁護士の費用は、
①着手金(事件処理の着手時)、②報酬金(解決時)、③実費、④その他(日当など)です。
 弁護士費用については、当事務所の報酬規定によることになりますが、過労死・過労自殺事件(行政への労災申請・審査請求・再審査請求、行政訴訟、会社との交渉・調停・民事訴訟など)の場合、着手金の金額については、ご依頼者の事情を十分に考慮して、相談のうえで決めさせていただきます(なお、着手金をいただかず、認定・勝訴などの結果が出た場合に報酬金のみをいただく「完全報酬制」もありますが、当事務所では、過労死事件の重大性と責任の重さ、労災認定や勝訴の見込みが厳しい事案もあること、認定や勝訴のための主張立証は弁護士とご依頼者の共同作業であることなどから、弁護士とのきちんとした契約関係・信頼関係を作るためにも、ご依頼者にもご無理のない範囲で一定の費用をご負担いただくのが望ましいと考えています)。
 依頼事項と弁護士費用が決まりましたら、その内容を記載した委任契約書を作成します。
過労死問題に関する岩城弁護士の経歴など

1988年4月 弁護士登録(大阪弁護士会)。この年に初めて行われた「過労死110番」の電話相談に参加し、以後、過労死問題に関わるようになる。

1989年12月 「大阪過労死を考える家族の会」の結成に尽力
1995年11月~現在 大阪過労死問題連絡会 事務局長
1999年9月~現在 過労死弁護団全国連絡会議 事務局次長
2001年6月 「労働基準オンブズマン」の結成に尽力
2006年9月~2013年7月 「働き方ネット大阪」事務局長
2013年7月~現在 NPO法人「働き方ASU-NET」共同代表
2011年11月~2014年8月 「ストップ!過労死 過労死防止基本法制定実行委員会」事務局長
2014年10月~現在 過労死等防止対策推進全国センター(過労死防止全国センター)事務局長
2014年12月~現在 厚生労働省「過労死等防止対策推進協議会」専門家委員
2015年3月~現在 過労死防止大阪センター 副幹事長
これまでの勝訴事例(一部)
1 49歳料理店店長の過労自殺の事例(エージーフーズ事件)
 寺西彰さん(死亡当時49歳)は、京都市内で複数の飲食店を経営する会社の筆頭店の店長を務めていたましが、不況の影響による売上げ減少の中で、年間3000時間を超える長時間労働と社長のパワハラ・左遷人事によってうつ病を発症して自殺しました。
 妻の笑子さんは2年4か月後に大阪の過労死110番に電話し、弁護団(京都の村山晃、浅野則明と岩城)が結成され、京都下労基署に労災申請し業務上認定がなされました。その後会社に民事訴訟を起こし、2005年3月京都地裁で勝訴後、2審大阪高裁で和解が成立しました。追加提訴した社長個人に対する民事訴訟でも、京都地裁で和解が成立しました。
 笑子さんは、現在「全国過労死を考える家族の会」の代表をされています。

<寺西笑子さんからの一言>
 あの日の自分を原点に、未来に挑みたい   寺西 笑子

 1996年2月14日の朝、元気のない夫の後ろ姿を見送ったのが今生の別れになりました。深夜の病室で変わり果てた夫と対面し、投身自殺と聞かされ耳を疑いました。「悪かった。許してくれ」と夫の亡骸に土下座して謝った社長と上司を見て、自殺の原因は会社が強いた過重労働と直感しました。しかし数日経てば、会社側は態度を豹変させ「家庭の問題だった」と開き直りました。地元の弁護士事務所へ駆け込みましたが、当時は過労自殺の判断指針が無いことで、客観的証拠や証言があっても国は労災認定しない、裁判しても難しいという厳しい現実を突き付けられ、1年以上泣き寝入りをしました。嘆き苦しんだ自分と平然としている会社、この違いに納得できず、このままでは身を粉にして働いた夫は浮かばれない、会社と刺し違えたいほどの怒りが込みあがってきました。

 それでも自信は持てず、再び「自殺は労災認定されない」と言われたら仕方なく諦めようと、わらをもすがる思いで「過労死110番」へ相談しました。電話は岩城先生につながり、事務所を訪ねて相談へ。岩城先生は、「確かに今は自殺については認定基準がなく、労災認定は難しい。しかし、自殺にも認定基準が必要だ。過労死の認定基準も徐々に変わってきているし、変えて行かないといけない。弁護士は認定基準を変えるために頑張っている。社会正義のために一緒に頑張りませんか。」とおっしゃいました。この岩城先生の言葉を受け、他力で結果を求めていた自分を恥じ、闘い挑む決意に目覚めました。
それから2年後、厚生労働省から過労自殺の認定指針が発表され、さらに2年の審理を経て夫の自殺は過重労働が原因と、労基署で労災認定されました。その後、会社責任を問う民事訴訟を起こし、過失相殺なしの勝訴判決を勝ち取り、高裁において被告の謝罪を受け和解が成立しました。途中、元社長の個人責任を問いたいと考えましたが、「すでに不法行為責任は3年の時効期間が過ぎている。会社を訴えているのだからそれでいいのではないか」という消極論もありました。それでも、岩城先生は賛成して下さり、会社法上の取締役の第三者に対する責任の規定を根拠に提訴しました。その結果、元社長にも非を認めさせ、最後に夫と遺族へ謝罪する和解が成立しました。
このように、遺族の思いに寄り添ってくださったことで、悔いを残さない闘い方で終えることができました。あのときに岩城先生の言葉がなければ、諦めていたかも知れません。おかげで社会正義に挑む精神を育てられました。また、早々に過労死家族の会をご紹介くださったことで、辛いときや心が折れそうになったとき、仲間から「あきらめたらあかん!」と励まされ一歩を踏み出すことができました。
気がつけば19年の年月が流れ、7年前から全国過労死を考える家族の会代表という大きな役を担い、今では偉大な先生方とともに「過労死等防止対策推進法」制定に関わり、法律を実効性あるものするための活動に参加しています。  過去は変えられないけれど、未来は変えられます。あの日の自分を原点にして、これからも過労死のない社会の実現に向けて挑み続けていきたいと思います。


2 
49歳はしけ作業員の致死性不整脈死の事例(藤原運輸事件)
運輸会社の大阪港営業所で荷役作業に従事していたNさんは、猛暑日であった7月中旬、はしけ(艀)の中で作業後に倒れているのが発見されました。
実姉のYさんが大阪西労基署に労災を申請するも業務外とされたため、行政訴訟を提起し、さらに会社に対する民事訴訟も提起しました。行政訴訟は1審で敗訴しましたが、2006年9月大阪高裁で逆転勝訴し、民事訴訟でも和解が成立しました。
弁護団(上出恭子、中森俊久と岩城)は当時の同僚からの聴き取り、医師・専門家の協力、さらには同じ時期にはしけ上で暑熱環境の調査を行うなどして過重性の立証に努めました。これが実を結んだといえます。


3 
25歳看護師のくも膜下出血死の事例(国立循環器病センター事件)
国立循環器病センターで特に重傷患者などの多い脳神経外科病棟で勤務していた看護師の村上さんは、長時間労働と不規則なシフト勤務のほか、看護研究、新人看護師の教育指導、チーム会や委員会などの様々な課題に追われる中、帰宅後くも膜下出血を発症し、自ら勤務先に電話して搬送されるも死亡しました。
弁護団(松丸正、有村とく子、原野早知子、波多野進と岩城)は厚生労働大臣への公務災害申請を行い、その後国に対する民事訴訟も提起しましたが、厚生労働大臣への公務災害申請は公務外決定、人事院への審査請求は棄却、民事訴訟は大阪地裁、大阪高裁、最高裁の3段階すべて敗訴し「5連敗」となりましたが、行政訴訟の1審大阪地裁で原告勝訴判決が出され、2008年1月に2審大阪高裁も勝訴し、確定しました。
高裁判決では、発症前6か月間の時間外労働は平均52時間余りと認定されましたが、シフト勤務や業務の実情による質的な過重性が詳細に認定され、これらを総合的に考慮して公務起因性が認められました。
ご両親の頑張りに対して、全国に支援が広がり、看護業務の現場の改善にも大きく影響しました。


4 
27歳飲料水配送社員の過労自殺の事例(Nさん事件)
就職難の中、ようやく正社員として入社し、トラックで大阪市内の自動販売機の飲料を補充する業務を担当した青年社員が、著しい長時間労働の末、うつ病を発症して入社わずか4か月後に自宅で自殺した事例です。
亡くなった約半月後に、遺族(ご両親とお姉さん)が弁護士に相談し、弁護団(上出恭子、須井康雄と岩城)が結成され、大阪西労基署に労災申請して業務上認定。その後会社に民事訴訟を起こし、2013年12月会社が責任を全面的に認め、解決金を支払うとともに、和解の席上で直接謝罪し、また、今後5年間にわたって再発防止策をとることを約束することを内容とする画期的な和解が成立しました。

<Nさんのお父さんからの一言>
 温かく寄り添い、共に闘ってくれました 過労死遺族H・N

 2008年8月2日、息子がこの世を去った。27歳の若さだった。
世界的清涼飲料水メーカーの配送作業をする、日東フルラインという会社に正社員として採用されてからわずか3か月半後の出来事であった。
7月に入って連日30度を超える酷暑が続いていた。朝6時過ぎに出社し、夜11時過ぎに帰宅する日々が続き、遅い日は深夜12時を過ぎた。
陽気だった息子が無口になり、日に日に痩せていき、疲労が目立っていた。繁忙期であることは解っていた。当時の私は「この種の会社は随分と遅くまで社員を働かせるものだな」という思いと、漠然とした不安を感じていた。
8月2日、息子は突然、自ら命を絶った。

 息子が大学を卒業したころは、いわゆる就職氷河期であり、新卒で就職活動に失敗すると、なかなか希望する会社に就職することは難しかった。それでもバイトをしながら

専門学校に通い、スキルを高めながら頑張っていた。そしてようやく正社員採用されたのがこの会社であった。
息子は勇躍出社していった。しかし待っていたのは若者を長時間過重労働で使い捨てにするブラック企業だった。
原因が仕事であることは解っていたが、私たち家族は労働災害とか、過労死、過労自死、うつ病、そのような知識にはまったく疎かった。しかし私たち家族を支援してくれたいろいろな人々のお力を借りて、たどり着いたのが「あべの総合法律事務所」であった。私たち家族がこの事務所を訪ねた時は、あまりにも深い悲しみと、怒りと、絶望感で、まるで幽鬼のようであったろうと思う。息子の死から一月もたっていなかった。
そこに岩城穣弁護士がおられた。
先生は大きな体に優しい目、傷ついた私たち家族を温かく包んでくれるような雰囲気を持っておられた。私たちが会社に赴き収集したいろいろな資料を精査した先生は「これは労働災害だ。このような会社は絶対に許せない、一緒に闘いましょう!!」と力強く言われた。真っ暗闇の中に一筋の光明が見えた時だった。
労災申請の前後、苦しい時期もあった、しかし先生の「そんな時は、今やるべきことを粛々とやるしかないのだよ」という言葉に励まされ、勝利のために、やるべきことをすべてやりきったと思う。そして、息子の死から約2年後に労災認定を受けることができた。
平成23年、この会社を相手に損害賠償請求裁判を起こした。そして平成25年12月25日、私たちの全面勝利和解という形でこの裁判を終わった。労災認定は息子の名誉回復であり、民事裁判は息子のかたき討ちだと位置付けていた私たち家族は、この両方を完全な形で勝ち取ることができた。
この間、岩城先生をはじめ二人の先生方には、いくら感謝しても足りない。まるで家族のように私たち家族に寄り添い、共に闘い、共に苦しみ、そして共に歓喜を味わった。
しかし息子は、私たち家族のもとへ帰ってくることは二度とない。
被災者のみならず、残された家族の幸せな人生まで奪ってしまう過労死や過労自死というものは、あってはならない。
岩城先生は過労死を根絶するための「過労死等防止対策推進法」の成立に中心的役割を果たされた。弁護士という多忙な仕事を抱えながらの働きは、私たちから見ればまさに超人的としか言いようがない。数多くの過労死問題を手掛けられ、このような悲劇は何としてもなくさねばならないという使命感に燃えられてのことだと思う。しかし、ご自分の健康面にも気を付けていただきたいと思う。

 そして、このたび新しい法律事務所を開所されることになった。本当におめでとうございます。これからも傷ついた弱い立場の人たちの側に立って、その力を存分にふるってください。

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